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東京高等裁判所 昭和45年(う)2071号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

〈前略〉

控訴趣意第一点について。

所論は、原判決は判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があると主張し、その細目につき、被告人は横断歩道直前において一時停止しうるよう減速徐行したこと、加害者を発見するや直ちに急制動をかけ停止したのであるから結果避止義務に違反したこともないこと等を縷々主張するのである。そこで所論にかんがみ職権をもつてまず原判決を点検するに、原判決は、被告人は「横断歩行者の有無をじゆうぶんに確認せず漫然時速一〇キロメートル速度に減速したまま進行した過失により、おりから同横断歩道付近を右から左に斜めに横断してきた石田信子(当時二一年)を約8.4メートルの地点に発見し急停止の措置をとつたが間に合わず自車前部中央付近を同女に衝突させ路上に転倒せしめ加療約一年三カ月間を要する左骨盤骨折等の傷害を負わせたものである。」と認定判示している。しかしながら、一般的にいつて原判示のような普通貨物自動車が時速一〇キロメートルで進行中前方約8.4メートルの地点に歩行者を発見し急制動の措置をとつた場合は、特段の事由が認められないかぎり、制動に要するいわゆる知覚時間、反応時間、制動時間を含めても優に歩行者の手前で停止することができるのは、日常の経験に徴して明らかなところである。しかるに、原判決が特段の事由について説明することなく、右速度と距離のもとに急制動の措置をとつたにもかかわらず歩行者に衝突させ前記傷害を負わせたと認定したのは、吾人の経験上首肯し難いところであり、結局判決の理由にくいちがいがあるものといわざるをえない。このことはひいて被告人が加害者を発見した時点における車両の速度が果して原判決が認定する時速一〇キロメートルであつたかどうか、また、加害者を発見した時点における同人との距離が果して原判決が認定する約8.4メートルであつたか、どうか等の点と密接に関連し、ひいて本件における被告人の過失行為の態様等にも影響を及ぼさざるをえないところである。以上の次第で、原判決には罪となるべき事実の認定そのものに看過することのできない理由のくいちがいがあるから、その余の控訴趣意に対する判断をするまでもなく、刑訴法三九七条、三七八条四号によつて原判決を破棄し、右につきさらに審理を尽させるため同法四〇〇条本文により本件を東京地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(その余の判決理由は省略する。)

(中野次雄 寺尾正二 藤野英一)

〈参照原審判決の主文ならびに理由〉

主文

被告人を禁錮一〇月に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四一年七月一〇日午後八時四〇分ごろ、普通貨物自動車を運転し、東京都板橋区下赤塚六七三番地道路を池袋方面から埼玉方面に向かい時速二〇ないし三〇キロメートルで進行中、進路前方に横断歩道が設置されておりしかも同横断歩道の右側部分は自車の右側を追抜き進行する車両のためその見とおしが困難な状態にあつたから、同横断歩道の直前で一時停止し得るよう減速徐行し、同横断歩道及びその付近の横断歩行者の有無を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、横断歩行者の有無をじゆうぶんに確認せず漫然時速一〇キロメートル速度に減速したまま進行した過失により、おりから同横断歩道付近を右から左に斜めに横断してきた石田信子(当時二一年)を約8.4メートルの地点に発見し急停止の措置をとつたが間に合わず自車前部中央付近を同女に衝突させ路上に転倒せしめ加療約一年三カ月間を要する左骨盤骨折等の傷害を負わせたものである。(昭和四五年八月一〇日 東京地方裁判所刑事第二七部一係の二)

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